もし、あなたの本棚の片隅に、一冊の古びた書物が眠っていたとしたら。
革の表紙をそっと開くと、そこには現代の言葉ではない、不思議な記号で綴られたレシピが記されている。 それは、遥か数千年の時を超えて、失われたはずの古代の叡智を伝える「魔法の処方箋」。
実は、これと全く同じ興奮と神秘に満ちた体験が、「香り」の世界には存在するのです。
私たちSense Of Wonder調香学校が何よりも大切にしている「センスオブワンダー」— それは、日常に隠された神秘や不思議さにハッと心を奪われ、世界を新しい目で見つめる感性のこと。
そして、その感覚を呼び覚ますための、最も古く、最も謎めいた扉の一つが、古代エジプトの聖なる香り『キフィ(Kyphi)』なのです。
この記事は、単なるお香の解説書ではありません。 ファラオが眠りにつき、クレオパトラが愛を語らい、神官たちが神々と交感するために焚きしめたという伝説の香りのレシピを、現代の私たちが自らの手で紐解き、再現する。それはまさに、知的な冒険であり、五感をフルに使う創造の旅です。
さあ、私たちと一緒に時空を超えた香りの謎に迫り、あなたの中に眠る「センスオブワンダー」の扉を開いてみませんか?
(Sense Of Wonder 調香学校では毎月新月にワークショップを開催しています) https://sowaof.netlify.app/workshops
第1章:キフィ(Kyphi)とは何か?- 古代エジプトからの香りの贈り物
キフィ(Kyphi)は、古代エジプトで調合されていた練り香(固形のお香)の一種です。 その起源は古王国時代(紀元前2700年頃)にまで遡るとも言われ、パピルス文書や、エドフ神殿、フィラエ神殿といった神殿の壁にそのレシピが神聖文字(ヒエログリフ)で刻まれています。
神々へ捧げられた聖なる調合 キフィは、ただの良い香りのするお香ではありませんでした。それは神聖な儀式に不可欠な、宗教的にも薬理的にも極めて重要な役割を担うものでした。 特に、夜の神殿で焚かれることが多く、太陽神ラーが夜の闇の世界(冥界)を無事に航海し、再び朝日として東の空に昇ることを祈るために捧げられたと言われています。夜の闇を払い、神々を招き、空間を聖化する。キフィから立ち上る煙は、人々の祈りを乗せて天界の神々へと届ける、神聖な架け橋そのものだったのです。
古代の叡智が詰まったレシピ キフィのレシピは一つではなく、時代や用途によって様々なバリエーションが存在しました。 しかし、その根底にあるのは、自然界からもたらされる貴重な素材への深い知識と敬意です。
ギリシャの著述家プルタルコス(プルターク)が遺した記録などによると、キフィには最低でも16種類以上の原料が用いられたとされています。
ベースとなる甘みと結合剤: レーズン、ワイン、蜂蜜、デーツ、はちみつ
聖なる樹脂: 乳香(フランキンセンス)、没薬(ミルラ)、ベンゾイン
エキゾチックなスパイス: シナモン、カルダモン、カシア
ハーブと木々: ジュニパーベリー、シダー、スイートフラッグ(菖蒲の根)
これらの原料をただ混ぜ合わせるだけではありません。レーズンをワインでふやかし、粉末にしたハーブやスパイスを加えて丁寧に練り上げていきます。 そして、数週間から数ヶ月にわたって熟成させることで、それぞれの香りが角を落とし、えもいわれぬほど深く、複雑で、甘美な香りが生まれるのです。この発酵と熟成のプロセスこそが、キフィ(Kyphi)に命を吹き込む重要な工程でした。
第2章:夜を統べる聖なる煙 - キフィの多面的な役割
古代エジプトにおいて、キフィは様々な顔を持っていました。 それは神々への供物であると同時に、人々の心と体を癒す薬でもあり、日常を彩る嗜好品でもあったのです。
神殿の儀式と鎮静の香り 前述の通り、キフィの最も重要な役割は、夜の神殿での儀式でした。その甘く、スモーキーで、深遠な香りは、日中の喧騒を鎮め、人々を瞑想的な状態へと誘います。プルタルコスは、キフィの香りが「日中の悩みや不安を和げ、精神の緊張をときほぐし、心地よい眠りをもたらす」と記しています。 この鎮静作用は、神官たちが神々と交感するための精神集中や、参拝者たちの心を落ち着かせるために、極めて効果的だったことでしょう。
ファラオとクレオパトラを魅了した媚薬 キフィは、その官能的な香りから媚薬としても珍重されたと言われています。特に、絶世の美女として知られる女王クレオパトラは、香りを巧みに操り、自らの魅力を最大限に演出したことで有名です。彼女がローマの将軍アントニウスを迎える際、宮殿中にキフィを焚きしめ、甘美な香りで満たしたという逸話も残っています。キフィの香りは、聖なる空間だけでなく、最も人間的な愛と欲望の場面においても、その魔力を発揮したのです。
日常に溶け込む癒しの万能薬 神殿や王宮だけでなく、裕福な人々の間では、キフィは現代のアロマセラピーのように、日常的な癒しのアイテムとして用いられていました。気管支の不調を和らげたり、肝臓の薬として内服されたりしたという記録も残っています。また、衣服への薫香や体臭消しなど、生活の質を高めるための洗練された嗜好品としても愛用されていました。キフィ(Kyphi)は、古代エジプト人の生と死、聖と俗のあらゆる場面に寄り添う、特別な存在だったのです。
第3章:なぜキフィは「センスオブワンダー」の扉を開くのか?
さて、この記事の核心です。なぜ、数千年前のお香であるキフィが、現代を生きる私たちの「センスオブワンダー」を刺激するのでしょうか。
「センスオブワンダー」とは、科学者であり作家のレイチェル・カーソンが提唱した概念で、「知ること」よりも「感じること」を大切にし、自然界の神秘や美しさ、不思議さに目を見張る感性のことです。 それは、私たちが生まれながらに持っている知的好奇心や探究心の源泉でもあります。
キフィの香りは、まさにこの感覚を呼び覚ます魔法の鍵となります。
① 香りが紡ぐ、時間への想像力 キフィの香りを深く吸い込むとき、私たちの意識は時空を超えていきます。立ち上る煙の向こうに、ナイル川の悠久の流れ、満天の星が輝くサハラの夜空、そして壮麗な神殿の石柱が目に浮かぶようです。
これは単なるノスタルジーではありません。数千年前の人々が、同じ星空の下で、同じ香りに祈りを捧げ、癒されていたという事実。 その歴史の連続性に触れるとき、私たちは日常の小さな悩みから解放され、自分という存在がもっと大きな時間の流れの一部であるという、畏敬の念に近い感覚を覚えるのです。これが、キフィがもたらす時間的なセンスオブワンダーです。
② レシピが語る、空間的な繋がり キフィのレシピを眺めてみてください。アラビア半島の乳香、インド洋を渡ってきたシナモン、地中海のジュニパーベリー…。そこには、古代の交易路「スパイスロード」や「インセンスロード」の壮大な物語が凝縮されています。
一つの香りが、砂漠を越え、海を渡り、様々な文化と人々を経てここに在るという奇跡。キフィの香りは、私たちをこの部屋から解き放ち、広大な地球の自然や、古代の人々の営みと繋げてくれます。これは、自分の存在が世界と結びついていると感じる、空間的なセンスオブワンダーと言えるでしょう。
③ 複雑な香りが促す、内なる宇宙との対話 現代の香水の多くがトップノート、ミドルノート、ラストノートと直線的に変化するのに対し、キフィの香りは、焚き始めから終わりまで、まるでオーケストラのように無数の香りが複雑に絡み合い、響き合います。甘さ、苦さ、スパイシーさ、神聖さ、官能性…。その多層的な香りは、私たちの感情や記憶の奥深い部分に静かに働きかけ、言葉にならない感覚を呼び覚まします。
日常の意識が静まり、自分自身の内なる宇宙、心の深淵と対話するような瞑想的な時間。これこそが、キフィ(Kyphi)がもたらす最も深遠なセンスオブワンダーの体験なのです。
まとめ:日常に、古代の神秘と驚きを
キフィ(Kyphi)は、単なる歴史的な遺物ではありません。それは、古代エジプトの叡智が詰まった、五感で体験するタイムカプセルです。
その香りは、私たちを日々の喧騒から引き離し、壮大な時空の旅へと誘ってくれます。歴史や自然との繋がりを感じさせ、自分自身の内なる声に耳を傾けるきっかけを与えてくれます。
忙しい毎日の中で、ふと忘れがちな神秘や不思議さに感動する心、「センスオブワンダー」。
キフィを作る時間は自分とつながる時間です。他のことは考えません。 乾燥させて熟成させて、満月の夜に開放します。
今日は新月、キフィのワークショップの日でした。受講生のかたが帰られた後に、私たちも新月に願いをこめて、キフィの制作をしました。 こねてる時間はとても指先が刺激されて、嗅覚も刺激されて、楽しい時間です。
毎月新月に行うワークショップです。今日は受講されるかたに配布される専用ノートに私も願いをかいて休もうと思います。